脳溢血脳梗塞後遺症 治療法

手のひら先生のリウマチ相談室を運営する筆者が、高麗手指鍼の脳溢血脳梗塞後遺症治療について語ります。

高麗手指鍼脳卒中治療で起こった過去の傷の蘇り

高麗手指鍼治療独特の現象かもしれません。

感覚としては患者さん1000人に、1人起こるか否かの確率かも知れません。
それは過去に受けた外傷などが突然蘇って起こることです。

と言ってもこれは数日以内に消えてしまうもので、当時味わった痛みや腫れほどのことは起きません。それが数日以内に治ると、前よりも良くなっていることに気がつくのです。

これは高麗手指鍼セミナー受講中に金成万先生が仰っていたことです。
治療していると患者が昔患った傷が、まるで思い出したように出てくる。
その時は「ふ~ん」と聞いていただけでしたが、後に開業した後すぐ体験しました。

妹の義理の親が近くの治療院に掛かったあと、起き上がれなくなり出張治療をしたときでした。2回ほど治療したあとやっと起き上がれるようになった時に、足首が大きく腫れ上がったのでした。


聞くと「あるき回ったわけでもない。どうして腫れたのかわからない。痛みはそれほどなくただ腫れているだけだ。」

「捻挫など昔したことがありませんか?」と聞きました。
すると「30年以上前に近くの農場にで働いた時、酷い捻挫をしたことがある」との答えがありました。


これが金先生の仰っていたことかと納得したことでした。

当院にかなりの期間脳溢血後遺症で、通っていただいている患者さんがいます。
脳神経に関わるツボはすべて刺激しており、それなりに徐々にではありますが改善はしています。

ホームページには書いていますが、最近運動野感覚野のツボ、取穴と言いますが、幅をもってとることをはじめました。
ペンフィールド博士のホムンクルスを見れば、脳内の運動野は幅を持っているのとに気が付かなかったのがうかつでした。

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そこですぐ対応したのですが、それだけでは効果が少ないと考えました。

なぜなら1点であってもツボ刺激は行っていたので、それ以上のことをしなくてはなりません。


そこで経頭蓋磁気療法の基本概念、健常な脳のレベルを磁気で下げて、障害を受けている半分とバランスを取るということです。
2回ほど治療後にその影響が出たようです。

朝起きると後遺症の残っている足が激しく痛み、立ち上がれないほどだったそうです。
ただ翌日にはその痛みは薄れてしまい、3日もするともとに戻ったそうです。
このようなことが起こるのは高麗手指鍼だけの現象なのだと思います。

なぜこのようなことが起こるのか?
脳が傷を記憶している。そのことは考えられることです。
ではその記憶はどの場所に格納されているのでしょうか?

 

いま始めたばかりですが「大野元郎記憶術セミナー」を受講しています。
30年前鍼灸学校に通うことになったとき、記憶力も悪くなっているはずだしと考えて、今もある渡辺式記憶法を購入しました。届いた途端これは使えないわと悟りました。
それは記憶するために記憶しなければならないものが、60個も有ったのですぐ諦めたのでした。

記憶力コンテスト世界チャンピオンが教えるということで受講を決めました。
渡辺式と基本は同じです。コンテストに参加した外国のチャンピオンも同じ手法をとっているそうです。

さて初めて見ると脳が異常に疲れます。脳が活発に活動しているからなのか、何しろ突然記憶がなくなったようにこのところは寝りに落ちてしまいます。それだけ疲れているのかも知れません。

記憶の格納庫をつくり始めているのかも知れません。

 

もう40年も前なので殆ど忘れているのですが、フランスの哲学者ガストン・バシュラールの著書「瞬間と持続」でしたか、その中に「飛んでいる矢は止まっている」という、ギリシャの詭弁化が言ったという名文がありました。
この説明の中で確か「我々の時間記憶はこの止まっている矢のようで、一瞬一瞬の記憶が時間記憶として収められている」と書かれていたと思いました。

一瞬一瞬起こる記憶は我々の脳内に時間記憶として格納されている。
ただそれが時間のように連続して収められているか否かはわからない。

 

記憶法はそれを規則立てて時間の連続のとおりに、格納した記憶を取り出してやる方法なのだということがわかり始めました。

だとすると脳溢血脳梗塞で損傷された脳が機能しないで、各種麻痺が起きるのだろうか。運動野が損傷を受けることは少なく、運動命令が出ているはずなのに手足に伝わらない。しかし脊髄が切断される以外脳内ではなぜバイパスが設けられないのだろうか。

人間の身体にはフェールセーフのような装置に替わる、そのようなものがあるはずです。事実脳溢血から完全に職場復帰したアメリカの大学教授の例が、本になって紹介されていました。
ほぼ脳の半分に損傷が及び手足の麻痺があった彼が、理学療法士の息子のリハビリ指導で10年後に教壇に復帰したものです。

手足の運動は日々の訓練で、新たな運動命令の部分ができるのかも知れません。
しかし大学教授の知識の詰まった記憶装置を、新たに作り直すことは至難の業でしょう。この部分の損傷は免れたのかも知れませんが、私の考えでは脳は一箇所出血してもその影響は脳全体に及びます。

この教授の右脳はかなり損傷を受け消えていたはずでした。
運動野の記憶はどこに?専門分野の知識記憶はどこに?

ここまで考えてきたところでもしかして?という仮定がわきました。
つまり我々は脳を左右に分けて考え分類しています。
左脳は計算や論理思考、右脳は感覚的な分野を担うということを。

しかし脳はもっと複雑に作業を行っていて、一旦は右脳なら右脳の然るところに記憶として格納し、同時か時間を置いて、ミラーのように反対の左脳にも写し取るような、記憶の格納庫にしまってあるのかも知れません。

結論として言いたいことは、治療する場合は右脳左脳を分けて考えるだけでなく、そのバランスを取りながら全体を治療しなければ脳溢血脳梗塞の治療は完成しないと言うことです。

治療に即効性を持たせなければならないし、運動麻痺にもっと効果的は方法を研究しなければならないし、もう頭の中の整理が追いつきません。

「手のひら先生のリウマチ相談室」